「死んだ」ではなく「召される」という考え方

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朝日新聞beの「悩みのるつぼ」、今週の回答者は美輪明宏さんでした。

美輪さんの死生観にはいつも感服するというか、読むことですごく心が清らかになるような気持ちがするのですが、今日の「悩みのるつぼ」の回答でも本当に良いことをいわれていました。

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愛する人をうしなったら

今回の相談者は50代の女性です。ご自身の最愛の娘さんを数日前に事故で突然亡くし、どうすれば良いのか分からないという悩みでした。

自殺も考えたが、過去に読んだ本の「自死したものはあの世の世界が違ってしまって、亡くなったもののもとへは行けない」という言葉が頭をよぎり、娘に会えないなら死んでも仕方がないと思いとどまっているそうです。

しかし、生きてはいるものの、娘をうしなった悲しみは薄れることが無く、なぜ娘は死んだのか、何か自分の人生に過ちがあり、その報いとして娘の命がうばわれてしまったのではないかと苦しんでいるということでした。

文面からも痛いほど伝わってくる、娘をなくした母親の悲壮感。美輪さんは自死を諦めたという相談者に、「自殺を思いとどまったのは、本当によかったのです。」と優しく声をかけます。

長生きするのは修行が足りないから

娘さんが若くして亡くなってしまったのは、何も、相談者や娘さんのこれまでの行ないに非があったからではないと諭す美輪さん。

死は、こちらの世界では悲劇ですが、あちらの世界から見れば「おかえりなさい」ということ。釈迦の言葉にもあるように、生きているということは修行を重ねているということで、亡くなるということは修行が終わって合格できたということなのです。

「まだまだ修行が足りない」という人は、私のように長生きさせられます。落第生で、ずっと修行。

けれど、素直で心が美しく優しい人は、飛び級で呼ばれることがあります。

「召される」というでしょう。そうして、自分が元いた場所に帰っていくのです。

『朝日新聞be 悩みのるつぼ』

 22歳で亡くなった娘さんは汚れが少ないから、あの世でも特に良い場所へ行って、神様や仏様になる修行が受けられるという美輪明宏さん。

でも、もしも残されたお母さんが自殺をしたり、怪しい新興宗教などにはまってしまったら、「娘さんが心配して成仏できなくなってしまう」と、相談者を励まします。

平和な心で修行を重ね、健康に暮らす姿を天国の娘さんに見せることが、これからの相談者の仕事。

大切な人を亡くして残されてしまった人達は、どうしても自分が平穏に暮らすことに罪悪感を感じがちです。

でも、大切な人は「死んだ」のではなく「召された」のだと考えることが出来れば、残された人の救いにはなるのではないでしょうか。

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奉仕の気持ちで

詩人の中原中也は、愛する子どもを亡くした親の立場で、美輪明宏さんと同じような考えを詩にしています。

愛するものが死んだ時には、

自殺しなけあなりません。

 

愛するものが死んだ時には、

それより他に、方法がない。

 

けれどもそれでも、業(?)が深くて、

なほもながらふこととなつたら、

 

奉仕の気持に、なることなんです。

奉仕の気持に、なることなんです。

 

愛するものは、死んだのですから、

たしかにそれは、死んだのですから、

 

もはやどうにも、ならぬのですから、

そのもののために、そのもののために、

 

奉仕の気持に、ならなけあならない。

奉仕の気持に、ならなけあならない。

 

『中原中也 / 春日狂想』

 中原中也が29歳の時、当時2歳だった長男文也が小児結核で死去。

文也を溺愛し、文也の将来のために「遺言的記事」まで執筆していた中也の悲嘆は激しく、精神にも異常をきたし母親の計らいで神経科の療養所に入院させられます。

「春日狂想」は、療養所を退院後に「文也が死んだ家にはいたくない」という中也の願いで鎌倉へ住居をうつしてから書かれたものです。

冒頭で、愛するものが死んだら奉仕の気持ちになることだと唱える中也ですが、そのあと「奉仕の気持になりはなつたが、さて格別の、事も出来ない。」と詩は続き、独特の幻想的な世界に踏み込んでいきます。

この詩をすべて読むと、愛息の死を受け入れなければいけないと分かっていながらも、すでに心が別の場所を向いてしまっている。そんな、中也の複雑な心境が伝わってくるのです。

焦らず時間が過ぎさるのを待って

「悩みのるつぼ」の回答の中で、美輪さんは、「愛する人を亡くしたら、まず落ち着くまでに3年はかかります。」と書いています。

ずっと愛情を持って接してきた相手が突然いなくなってしまったわけですから、その悲しみの深さは簡単に癒えることはないでしょう。

わたしもこれまでの人生で、親しい人を何人か見送ってきました。

病気や事故や自殺や、亡くなる理由はそれぞれ違いますが、いずれにしても残されたものは行き場の無い悲しみを胸に秘めながら毎日を生きていくしかありません。

なぜあの人が死ななくてはいけなかったんだろう。自分ができることは無かったのだろうか。

さまざまな事情で大切な人を亡くしたら、そうした後悔が自分の中で膨らんで生きるのがつらくなることもあると思います。

でも、そんな時には美輪さんが仰るように、「あの人は心が美しいから特別に召されたのだ。自分はまだ修行が足りないから、亡くなった人を供養することが仕事なのだ」と考えることができれば、少しずつでも前進していけるのではないかと思います。

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